長女の1歳の誕生日に父は入院ていた病院で意識がなくなりました。
その日は、私は関西に出張に行く予定で、会社に出社してときに、
会社の方から、「社長の容態が急変した。直ぐ病院に行くように」と告げられ病院に行きました。
医師、看護師たちが病室の父を取り囲み、処置をしている様子が目に入ってきましたが、
私は、何かの間違いではないか、と信じられない思いでした。
我に返り、お約束をいただいていた取引先に電話をして、アポのキャンセルを伝えて、
父の回復を祈り続けていました。
父と懇意にしていたたくさんの方々が
「容態の急変」の知らせを聞き、駆けつけてくれました。
「強い父」であったので、回復しないわけがない、
数日前に、お見舞いに行った時には
GWにゴルフに行こうと言っていた父
まさか、こんなに突然・・・・
医師からは
この機械を外すと、心臓が止まります
残念ながら回復の見込みはないです
信じられないけれど、現実でした
バンコクで仕事をしている私の兄と叔父が帰ってくるまで
機械を外さず、奇跡が起きることを願い続けました
でも奇跡は起きませんでした
早すぎる別れ、
照れくさくて聞けなかったこと、言えなかったことが頭の中を駆けめぐりました
父が中心になって建て直した菩提寺の本堂
新しくなった本堂での初めての告別式が父になるとは・・・・
お寺の庭には、桜が。
21回目の命日がとても穏やかな陽気で父も喜んでいるでしょう。
お墓には、新しいお花が、どなたかが父のことを思い出して来てくださったのかも。
色あせてしまったけど、家に飾ってある父の写真
時には嬉しそうに見えたり、時には怒っているように見えたり、
いつも私達を見守ってくれています。
サンワカツキ 代表 若月兵衛
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